2017年春 南インド訪問記② アシュラムでの生活から学ぶ事
よく考えたらここ数年は家族や生徒さん方とご一緒する事が多く、
こうして一人でインドに向かうのは、10年ぶり。
飛行機を待つ間も、機内でも、トランジット先でも、一人。
一人でまるまる時間を過ごすって、特に下の息子が生まれてから経験がなく、、、
開放感!というよりどちらかというと違和感。
とは言いつつも、何度となく行き来してきた場所なので、緊張もなく、
静寂の中で淡々と移動し、日本を発ってから約30時間で到着したタミルナードゥのアナイカッティにあるArsha Vidya Guruklam。
最寄りはコインバトール空港なのだけど、私は前後の予定を考え今回はコーチンから入国。
コーチンからは車で4時間半ほどの距離。(今回私はケララのグルヴァーユに立ち寄ったので、7時間かかった。。)
こちらへの訪問は昨年1月、8月、と続き、今回で3回目。
以前の訪問時は、SDJ Ayurvedalayaに滞在していたので、アシュラムに宿泊させていただくのは今回が初めて。
プージヤスワミジのお部屋の前に咲いているプルメリアの香りと姿に毎朝うっとり…
こちらは、伝統を守りヴェーダーンタを学ぶことのできるアシュラムなのだけど、私のようなビジターでも快く受け入れ宿泊させていただける。勿論宿泊費は無料。アシュラム内で提供される食事も、チャイも、全部無料です。
伝統的なヴェーダーンタの継承を支えるのは「寄付」。全て寄付によってアシュラムの運営はされています。
実は私は最初この「寄付」による運営という概念をあまり理解することができませんでした。
「働かざるもの食うべからず」という環境で育ってきてしまったせいか、また、目に見える利益(お金)が自分の価値や評価に繋がると思い込んでいた時期が長かったせいか、「寄付」というのは困っている人たちを助ける手段であって、自分に余裕が有る(お金が有り余っている)人たちがするものという刷り込み的な考えが強かったのです。だから、私は寄付をする側ではないし、したとしても、自分の懐が痛まぬ程度の小銭をチャリンとすれば十分であろう、と。そういう寄付で運営が可能になるなんて、すごいな、と思ったのです。
インドでも、確かに裕福な人たちが寄付をする側に回りますが、その根本的な考え方が私とは違いました。
人には其々役割があって、支え合いの循環がある。
自分以外の人たち(人に限らないけど)が満たされることで自分にも安心と安全がもたらされる。
だから、普段経済活動をしている人たちは、自分たちが直接アシュラムで学んでいなかったとしても、伝統的で貴重な知識を継承するこの場所をまもるために精一杯の寄付をする。決して小銭チャリン、じゃないんです。
そういう人たちが、アシュラムに時々やってきて、先生たちのお話を聞いたりテンプルでプージャーをしてもらったりしています。
目から鱗。
どれだけ自分が小さな器だったか、思い知らされると同時に、私もこうして循環の中に役割を果たしていきたい。と最初のアシュラム訪問から想うようになりました。
私は、アシュラムに住んで勉強する人ではなく、経済活動をしている人。
と、頭で理解はしているものの、日本にいると、自分の置かれている立場を正しく認識できずに、経済活動に向き合わずに勉強し続けたくなってしまったり、経済活動なのに適切な代金をいただくことができなくなったり、、少し混乱してしまっていました。
そんな私にも、分かりやすく聖典を通じて教えてくださる先生方のおかげで、昨年末にようやく混乱が解け経済活動へ復帰。そして、またアシュラムにやってきました。
私に割り当てられた部屋は2つベッドが置かれている部屋でしたが、一人で使用できました。
設備はとても質素。でも滞在するのに困ることはありません。
何故か私の部屋だけお湯がでなかったのですが、まあ、毎日日中暑いので水シャワーで十分でした。
朝5時に起きて水を浴び、テンプルへ。365日休むことなく毎朝変わらず2時間ほどのプージャーが執り行われます。来るたびに、毎回感動できる素晴らしい時間。
今回のアシュラム訪問は、昨年夏に難病を発症した母のためにホーマを執り行ってくださったことへの御礼詣りというのが、第一目的です。
何かお手伝いができれば、、と思って申し出ていましたが、結局いつもどおり美しいダクシナムールティを見つめ、プージャーの様子を静観させていただくだけでした。。
プージャーが終わり、瞑想の時間を経て朝ごはん。
私は朝のプージャーのプラサーダムを先にいただいてから、朝ごはんをいただいていました。
塩味のお米と甘いバナナやナッツのグレービーを一緒に食べるのが好き❤️
アシュラムでのご飯はシンプルですが特別です。
作る方々は味見をすることなく、まずは祭壇に捧げ、その後にサーブされます。
2日目の朝ごはん。
タミルの新年を祝うスペシャル朝食でマンゴーとニームのお花と6味が入った吉兆で珍しいお料理も!
プージャーのときに捧げるお供物は味見もちろんですが、お花の匂いも嗅いではいけないとされます。
味、匂、色、音、触、、、というすべてを捧げ、その後にお下がりとしていただくのがプラサーダム。
アシュラムで提供されているご飯は、ただ空腹を満たすため、味覚を満たすため、のものではなく、各自の身体という神聖な舎へ捧げるもの、という意味もあるのです。
この世にこんなに美しい食卓があったなんて。。。と初めてアシュラム訪問したときには本当に感動しました。
朝食の後、開催されていたヴェーダーンタリトリートへ参加させていただき、チャンティングやバガヴァッドギーターのクラス。
聖典から学ぶ実生活へ活かせる知識を分かりやすく、しかも日本語で伝えてくださるムクティ先生とみちか先生。こんな素晴らしい先生方に出会え、そして学ばせていただける事に感謝しかありません。
先生方は、日本人ではありますが、伝統的な伝承を頑なに守っていらっしゃいます。本当に素晴らしい。
私たちに惜しみなく、分かりやすく、知りたい!ということを丁寧に教えてくださるのに、「受講料」はありません。代わりに、私たち生徒が、各自「謝礼」という形でお渡しします。
正直、ヴェーターンタの知識は幾ら払ったからといって得られるものではないので、だから私はお渡しするときに額面よりその感謝の気持ちをお伝えするように心がけています。
「ありがとうございます」という御礼の言葉はもちろんですが、それよりも、先生方から学んだことを、ちゃんと自分の行動に顕すこと。
アシュラムへの寄付、ビクシャー(食事の提供)、先生方が出来るだけ不自由なく教え続けられるようにダクシナ(謝礼)を適切に行うことだけでなく、私がするべきことを正しく理解し、経済活動を含めて社会との関わりを正しく行っていくことです。
日中の活動、学習が終わって、夕方は火照った心身をクーリングするようにまた水を浴び、テンプルに向かいます。
夕方は朝とは違い、バジャンがあり、何となく子供の頃の夏の盆踊り最後で、楽しかったな〜もう終わりかー、、的な感じ。
ちょっと適切じゃない表現かもしれませんが、私にはたくさんの人がテンプルに集って華やかに1日を締めくくるって毎日が特別になって良いな、と思っています。
日本で普通に過ごしていると、何となく1日が終わって、何となく朝が来る。。。
よく毎日が輝くように、、なんて言いますが、毎日朝と晩にプージャーしてたら、それはもう、毎日キラキラになること間違いない!と断言します(笑)
たった3日間の滞在でしたが、アシュラムの中は毎日規則的なリズムの中に完全に同調していました。
そこに常に人の入れ替わりや季節や時間の変化などがあるのだけど、俯瞰してみると、何も変わらない。
ビジターである外国人の私ですら、その3日間はアシュラムの構成要因(要員)になっている。
この広いアシュラムに宇宙を感じ、この調和した世界に私が今ここに存在していることの意味を、ズッシリと受け止めさせていただきました。